ニーチャンノート

まだまだ工事中 立原道造とか考察とか妄想とか

堀多恵子『堀辰雄の周辺』角川書店 平成8年

 堀辰雄の奥さん、堀多恵子が書いた辰雄とのエピソード、辰雄と関係のある文士たちとのエピソードが入っている随筆集。地元の市立図書館から借りた。

  下記は注釈がない限り多恵子さんから見た立原道造

 

 幼少期剣舞を習う。家業を継ぐより望む資質にふさわしいとして好きな道を選ぶことを許されていた。

 甘い物が大好きで特に羊羹が好き。
「朝起きるとすぐ食べたがり、好きなようにさせていたので体の弱い子になってしまったのでしょうか。」と登免さんが話していたという。
 (好きなようにってことはほんとに起床即羊羹してたんだろうか……)


 多恵子さんと辰雄が結婚する前、鎌倉で倒れた辰雄のことを知らせるために杉並の多恵子さんのおうちに行ったそう。
いたずらっぽい明るい人、よくしゃべって冗談もいう。という印象。

 「自分の理想とする家は、朝は洋館でそこには長いスカートをはいた美しい奥さんがいて、夕方戻ってきてボタンを押すと、その家はバタンバタンと日本家屋に変わり、和服を着た優雅なひとが迎えに出て来る」みたいなことを電車の中で多恵子さんに話してたらしい。

 『立原さんをはぐくんだ信濃追分は、辰雄によって与えられた土地であったのだろう。』

 室生犀星津村信夫が江古田の療養所に入院していた立原を見舞って、病が重いことを知らせたのは2月に入ってからだという。
 『我が愛する詩人の伝記』の手のはなしと時系列同じだと思う。

 

 ドイツスミレを横浜の花屋で買って、ケーキを持って行った。立原、髪を切って坊主頭になっていた。
 面会の時間が残り少なく、階段を駆け上っていったみたい。
 「僕も堀さんのように病気をたのしむようにしていたいんだが、とても苦しくて……」と立原は辰雄に言ったが、小さくかすかで辰雄にしか届かなかった。

 上記の江古田での出来事は『葉鶏頭 辰雄のいる随筆』(昭和45年)でも語られており、いくつか表記ゆれが見られる。