ニーチャンノート

まだまだ工事中 立原道造とか考察とか妄想とか

立原道造の堀辰雄宛書簡(推定8mほどのやつ)

 ひたすらパチパチ打ったものです。ぷらいべったーで公開していたものを移行しました。現代仮名遣いに直しましたが、誤字脱字あるかもしれません。あまり見ないカタカナなど外国語は脚注で意味を載せました。

 

堀辰雄宛〔盛岡発〕〈山〉

 長いことおたよりをしませんでした。

 お仕事をなさってお出でですか。

 僕はあたらしい仕事をいまからはじめようとおもいます。あたらしい仕事部屋を手に入れました。ここはしずかで僕の心にちょうどよい光があります。それにかかるまえに、あなたの今までのお仕事の意味が、僕をふかくとらえています。どんな仕方でか? 僕はむしろにくしみで! とおこたえしなければならないのです。「風立ちぬ」との対話はとうとう僕をそこへみちびきました。ここからどんな光をうばって来るかは僕にはわかりません。しかし、いまはここにいて、出来るだけ平静に、できるだけ自分の感情に耐えねばなりません。ドゥイノ悲歌*1が訳されはじめ、僕はそれをよみました。りっぱなものだとおもいます。僕はアダジオ*2をひとつ書きたいとおもいます。勿論生涯にひとつ。しかし、それが LEBENSWERK *3かどうか予定はしません。ただかぎりなく美しいアダジオをひとつ。約束や願望のむなしさが、もう僕をとらえている。それよりもただひとつわけのわからないもの。つまり太陽と光とをとらえるもの、いつも爽やかにあたらしいもの、くりかえさないではいないものだけが、ふかい信頼を要求します。

 あなたが自分のまわりに孤独をおいた日に、どんなに美しかったか。僕はそれを羨むことで、いまをきずいているといったっていいくらいです。しかし、問題はやっぱり別のところにあります。何かがはっきりと僕の耳にきかれている。それをとらえようとして僕は身をもだえている。しかもその僕の身もだえを、萎びた眼が絶えず見はっている。而もなおここでは一見孤独は容易だと錯覚されそうな境遇に居て、僕自身が、愛以外のもので奪われている。だがそれからなぜ僕はあの声を聞いたのだ? 萎えた眼が、あの恥知らずの鼻が、この深い淵につきおとさなかったら、きかなかったのではないか? おまえの孤独な願望が完成するときに、あの声がとおくからひびくと信じ得るのか? とまた何かが僕を虐めつける。……しかし、こうしてあなたに告白することで、僕はだんだんしずかになってゆきます。あなたに告白をすることで僕の心はたやすく泪をながしはじめます。この泪を軽蔑する者に何があるのかといいたい意地っ張りといっしょになって、もっともっと泪をながす。だがこんなに僕の心にぎりぎりと苦い泪を──はじめて僕はこんな屈辱に出会ったとおもうほどに、いま僕は怒りとかなしみに灼けています。しかし、にくしみだけが、なぜか湧いてこない。それだけが今の僕に欠けている。もっともっとこれが大切なのだ。これがないから僕はくずれてゆくのだ。しかし、にくしみだけが欠けているこの深い淵には底はなかったのだろうか。ここが底なのだろうか──

 こんな気持ちにいて、あたらしい仕事ははじめられません。しかもはじめようとおもいます。こんなときに、あなたをかんがえずにいられないのはなぜだろう、とおもいます。

 たいへんに空気がうすい、呼吸が苦しいような気分です。肉体の問題です。精神のアレゴリー*4をいまはおそらく言えないでしょう。もっと汚い仕方では、脈絡のない仕方でか、精神をいう言葉は死んでしまった。ただ、僕の肉体が、青い翼の疲れきった鳥のように、この机に向っているのでしょう。ゆうべはその肉体が信じられていた。そして、ゆうべはたしかに、にくしみを光にまで変容出来た──あたらしい仕事ということは、一層イロニー*5のようです。やはり別離のことですから。僕はいつも別離をだけ体験し、廃墟をだけ所有してきた。こんな生き方ではないものを北の国できづきはじめた。そしてきづき得たと信じていたのです。孤独でなければそれは保ち得なかったのか、それともそれはまた十分に出来てはいなかったのか……たった一つきでみじめに潰えてしまった! そしてまた別離を、廃墟を、こんなによわよわしくかんがえはじめています。

 あなたにも、僕にも、共通の不完全と醜がある。しかしそこから脱け出そうとしていることは正しい。しかし、この不完全と醜とだけでそれにささえられて生きている者がいたら、あなたはどうなさるか? あなたはイロニカルな愛し方をすることが出来る。そしてかつて僕はそのイロニーをまなび得る。あるいはまなぶことに、愛を信じ得た。しかし、はっきりといまは僕はそのイロニーに耐えない。こちらよりもむこうが残酷に強いとき僕の愛が真実でなければ、自分のイロニー自体が僕を苦しめる。さらに相手はもっと強い拷問だ……僕のあわただしい崩壊がどこにあるか──僕は幾日も幾日もたたかいつづけた。しかしとうとう敗けたのだ、と告白します。

 あなたがいまいなかったら、僕はもっと残酷であり得たかも知れない。しかし、そんなことは僕のぬけ穴でしょう。

 僕の仕事が無意味だとはもうおもわれません。こんなところから生きはじめるために、それがなかったら出来ないでしょう。こんな仕事のはじめ方は、あなたにもお別れをつげねばならない日かも知れない。しかし、僕は、あなたの愛を信じている。それがこんな告白を僕にゆるす。あなたから去って、僕はどこへ行くのだろう? だが、もし去らねばならないときは去る。失わなければならないなら、世界をさえ失う。ここでながす泪の重さをはかろうというあわれな僕の知恵よ、何よりもおまえはくびられねばならない。知恵というよりもあわれな僕の知識よ、しかしおまえはひょっとしたら僕をここで殺してしまうのかも知れない。僕は今までこの世が僕になすままをなすところなくうけいれて来た。忍耐もせずに──僕が去ったらあなたはどうなさる? ……僕は信じている、あなたの崩壊を。それを信ぜずに、僕はあなたの愛を信じ得ない。あなたの「風立ちぬ」から、僕の「風立ちぬ」に何も奪い得ない……

 僕のあたらしい仕事は、出来るだけ平静で、出来るだけ美しくありたいとおもいます。今までの僕のしたすべてを、きょうは否定できます。どんな風にしても破り去り得るでしょう。今が含んでいる明日を、明日書きあげられる美しい仕事を、しかし約束と願望の仕方ではなく、信じます。あなたを信じるように、今、僕からとおく仕事をなさっているあなたを信じるように、自分を信じます。

 ここ幾日かの僕のたたかいの一切をかくして、今日の敗北だけで、あなたに明日のことを告白しました。そして僕はここでペンをおいて(いつペンをおけるのかわからない。おそらく暴力なしには永遠にこのおもいはペンをはなさないでしょう)しばらく、濃い空気を吸いたいとおもいます。僕の呼吸がらくになるように。 ここ幾日かの僕のたたかいの一切をかくして、今日の敗北だけで、あなたに明日のことを告白しました。そして僕はここでペンをおいて(いつペンをおけるのかわからない。おそらく暴力なしには永遠にこのおもいはペンをはなさないでしょう)しばらく、濃い空気を吸いたいとおもいます。僕の呼吸がらくになるように。 死なない方がいいとだけは、このごろ、しみじみおもっています。では、さようなら。

 お身をお大切に。 道造 

 堀辰雄様 

P.S. 一日、むなしくこの仕事部屋に座っていました。夕陽があかあかとさしています。北の窓に紫色のシルエットになった岩手山が美しく見えます。きょう一日はしずかな孤独がようやく得られた。なんの僕を苦しめるものもなく、ここで、僕のなかに成長してくる言葉といっしょにくらすことが出来た──このことを書かずに、今朝の手紙だけをお送りせずにいてよかったとおもいます。封筒にいれたまま、ここの机でぼんやりそれを僕がながめていたのです。

 自分自身のなかに沈んでゆけば自分を形成してゆくことは可能だが、その形成された自分があんなに早く崩れてしまうのはなぜでしょう? ゆうべも僕は、とうとう光を奪い得た、と確信しました。夜の澄んだ光のなかで、僕のアダジオは僕に近く訪れたとおもいました。それが、今朝はふたたびあんなみじめな結果です。こうしてひとりでいれば、僕はわずらわされず愛することが出来るのは、ずっと前にこうならなかったころのことを追憶しているからなのでしょう。しかし、僕はもっと優しくもっと強くなくてはならない。そして、いつもどんな危機にでも自分を確かにまもって行かなくてはならないと、いましめられます。そして、人をにくんだり人をへだてたりしないことでそれを日常のうちになしとげなければ、とおもいます。「苦しみの独創性を尊重したから苦しんだ」というあの苦しみも、僕は尊敬出来るけれど僕にとっては、苦しみや闇を通って、美しい人間になるためよりか苦しみをかんがえられません。そして美しい人間になるには、苦しみがなくてはならないかさえも信用していません。あるがままで美しい人間。ゲーテの GANZ MENSCH *6や、ニーチェの ÜBERMENSCH *7が、あこがれられます。夕雨のなかに町にいま灯がつきました。ここからとおくけむったあたりに橋がかかっていて、その上をくろい小さな人たちが行きます。その向うにはシルエットになった杉の森ととおくもっと淡く低い山と、それから夕やけの空があります。この一枚の風景画が、今、僕のなかで生きながら、こんなに活き活きと語るものと、あのあこがれと、どちらが僕の心を奪ったのだろう。そして、そのどちらをもひとつにするところに僕はいるのではなかろうか。つまり僕がひとつの黒い橋ではなかろうか。とかんがえます。だんだん灰色にかわってゆく夕やけ雲の下を鴉が啼きながらすぎます。

 僕の今度の仕事は、僕の生活で、何かしら大切なものになりそうです。しかしおそれてはいません。

 あのひとつの別離のあと、日々はしずかにながれました。そして、僕ののぞんだ仕事はちいさいちいさい形を、それも一部分のこしたまま、どこかへすぎてしまったのです。

 きょうはじつによい天気で、世界は完全でした。青い空の色に金色の光が美しく調和して、地の上の多様な風景は、飾りのように僕らのまわりをとりまいていました。晩秋の一日にこんな秘密がかくれていたとおもうような、昨日あたりまでのあまりに寒い意地わるい気候にくらべて、あたたかい親切な日よりでした。夕ぐれ、僕は汽車にのります。一月のあいだとどまったこの町に別れを告げるときなのです。四時すぎて、もうその汽車に二時間しかないとき、いつもいつも僕の愛したこの夕映えの時刻に、ここでのいちばんおしまいの手紙を書いています。この旅の朝、僕はやはりひとつの手紙をさしあげた。それが山荘にとどいたときのことを、あの少年がおしえて行った……しかし、いまはあの朝とどれだけちがうのか、自分にはわかりません。それでも自分のなかに、何か大切なものをひとつ植えつけた。それを育てるのはむずかしいどんなことか知らないが、何かしらひょっとしたら手に入らないと、あきらめていた何かを、植えつけたような気がしています。

 ここで僕はたしかにひとつのものを失った。そのことについてはいま何もかんがえずにこんなにみちたりたまなざしを風景に投げかけます。そして、だまって別れてゆこうとおもいます。夜汽車の寝室が、東京へ明日の朝は早く連れて行ってしまうでしょう。おそろしいような気もする。そんなにこの一月、完全に僕は、東京からも、自分からも、不在でした。あたらしい意味での帰郷者、あるいは追放者です。いまのざわめいているこの心情は──

 何か出来るか出来ないか、そんなことを問題にしながら、この町に別を告げています。この町は僕にいいことをした。それへの感謝のしるしはいまの僕にはだめです。しかし、いつかは何か、それさえわからない心持で別れを告げます。それでいいのでしょう。それがいいのだろうとさえおもいます。すこしさびしいけれど。……はじめて僕の生でめぐりあった北! 北の明るい祝祭の季節!

 もうペンをおいて、うしろの丘に行って最後の一べつを投げて来ようとおもいます。

 では、また近いうちに東京でお会い出来る日を待ちながら。僕は、これから東京へかえります。

立原道造全集 第5巻 角川書店 書簡番号559より

*1:おそらくリルケの連作詩、ドゥイノの悲歌

*2:アダージョ。音楽の速度標語、ゆるやかに演奏せよの意。

*3: (独)ライフワーク。

*4:(英: Allegory)寓意。詩歌においては「諷喩」とほぼ同等の意味を持つそうです。

*5:(英:irony)皮肉。英語じゃなくてドイツ語・フランス語かもしれない。

*6:ゲーテの作品・言葉だろうか?出てこなかった。直訳で「完全な人間」

*7:超人。ニーチェが提唱した概念の一つ。