ニーチャンノート

まだまだ工事中 立原道造とか考察とか妄想とか

亡友反故帳(藤村→透谷の追悼文)

 島崎藤村→北村透谷への追悼の随筆です。文語体?のものを現代語訳して載せていますが、素人が訳しているものですので間違い違和感大有りだと思います。しかもまだ途中です。ここ訳していいのかなあというところは注釈つけました。ご承知の上で読んでください。(気が向いた時にぼちぼち追記します)

 原文は掲載する元気はないのでできませんが、ここはこういう訳になるのではないか、ここの原文が欲しい等などありましたらここに載せているアドレスからよろしくお願いします。

 

『亡友反故帳』 島崎藤村

 北村透谷が書き捨てた反故は、彼の書斎に積み重なっていたものから抜き集めて私の書斎のすみに保存してあったものもある。最近この反古を棚の上から取ってほこりをはたいてかれこれ読んでいくうちに、亡き友が彷彿として私の目の前にいるようで、ますます昔のことを思い出さずにはいられなくなる。

 目的もなくあちこちを旅することを好む*1面白い男として彼を知る人もいる。男気のある性質を愛し*2慈善を好む志士として彼を知る人もいる。外面を極め、世間離れ*3して自らの精神を極めた沈鬱な詩人として彼を知る人もいる。自然の研究家として生き生きとした*4批評家として彼を知る人もいる。彼はいつも私に「自分には友人が少ない、だが強いて友人を求めたりはしない」と言った。それでも彼は交遊を怠りはしなかったから、彼を知っている有名な文士も少なくはない。

 年月は流れる水のようで、逆戻りはできない。たしかに、私は旧友を再び見ることができないと思うごとに、当時の人とともにいられないことを嘆かずにはいられない。惜しくも芳蘭が夭折して二回、春と秋が来た。この世とあの世を境にして、もう一度、一緒に語ることができないとしても、北村くん、北村くん、あの世は君が生前想像していたものかい、そうなのかい? どれだけ冷たい泥土に覆われても、重い石碑を載せようとも、一点の光も通さない暗所に押し込められても、君は今はなんの痛みもなんの妨げもないのかい? 春が来たら桜の花びらが墓の上に散り、秋は植物が生い茂り露の玉を落としても、君は今はなんの情も動かされないのかい? 君はもう一度、こちらの世界に戻ってきて自分と会うことを望まないだろうか。嗚呼、北村くん、君が歩んでいる「死」とは、詩人のうたう眠りのようなものかい?もしそうなら、楽しい眠りであってほしい。

 北村くんは戯曲に志があった。彼が書き捨てた反古を見ると、戯曲になろうとしてなりきれないものがたくさん出てくる。

【以降未翻訳】

 

引用元

 島崎藤村(1966)『亡友反故帳』(島崎藤村全集1)筑摩書房

 スペシャルサンクス友人M……(とっても手伝ってくれました)

*1:飄遊を好む

*2:俠骨を愛し

*3:飄逸

*4:霊活なる